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越後妻有アートトリエンナーレ2015大地の芸術祭が終わった。
大学に入ったばかりの頃現代美術の存在を学ぶと同時に知り、日本でこんなことが起こっているのかと衝撃を受けた。新潟という地も、ステージとしても遥かな感じのする、夢のような存在だったと思う。なので今期二作品への参加が決まった時、やってきたことがやっとこの場につながったのだなぁ、と喜びでいっぱいだった。

サウンド・ダイアログについて。
十日町という街に滞在できて本当によかったし、音楽家はこのばらばらな方を向いている私達でよかった。
ばらばらだからこそ、街や人と様々な角度から会話を始めることができた。また、各々の投げかけに対し、十日町のみなさんからはあたたかい返答があった。ウォーキングライブのお客様の数や、十日町の方々も含めた出演者の多様さがそれを語っているように思う。
お客様はあんなにたくさんいらしたけれど、ステージから見えていたのは顔の見えない「たくさんの誰か」ではなく、小さくて確かな積み重ね、日々のこと、感謝を伝えたい人々だった。
人を通してこの街の輪郭が、来て間もない私の心にもじんわりと浮かび上がる。
中には遠方から来てくれる人や何年ぶりかに会う友人もいた。いろんな人が十日町で交差していた。

個人的には、自分の生活をぎりぎり保ちながらも、やりきることができたのではないかと思う。やりきりたい、とお願いしてお断りしてしまった仕事やライブ、友人の結婚式もあった。
Falsettosのみんなや、家族、周りのみなさんのご理解なしにはできなかった。

二作品に関わることを歓迎してくださったサウンド・ダイアログのコーディネーター山口さん、『つまりは、ダンスでコマーシャル。』モモンガ・コンプレックスのみなさん、そして両作品の橋渡しを手伝ってくれた美土さん、長尾くん。音をくださったミュージシャンたちにも改めて感謝をしたい。

重い機材を毎日一緒に運び、「本日の活動」を黒板に描きつづけてくださった島尾さん。音が生まれる瞬間をいつもにこやかに見ていてくださった。すぐに消えてしまう、未完成で、ささいなできごとかもしれない。でも私にとって「音楽のはじまり」は最も大事な時間であるから。嬉しかった。

それらが外の世界に広がっていくように撮り続けてくれた廣田くん。光をとりこむ植物みたいに静かに、また確実にその場にいてくれた。長い時間一緒にいたけれど、いつも心地よい距離からとらえていてくれた。彼の写真や映像を見て改めて思う。

のだちゃん。伝えたくても私では思ったように伝えられない「うた」たちを、想像以上のみずみずしさで世界にはなってくれる。いつもありがとう。

市街地プロジェクトで滞在していたアーティストのみなさん。深澤さん、悠くん、佐野くんには、どれだけ元気をもらったか分からない。
お店で作った小さな歌をたよりに、佐野くんが買い物をしていてくれたことも嬉しかった。そういえば、歌を聴いて十日町石油に立ち寄ってくださった方もいた。

お忙しい中共同作曲に参加してくださった街のみなさん。あんなに楽しく音楽をさせていただいたことに、どうお礼を伝えたらよいか分からない。

見守り、つなぎ、支えてくださった西野さんやたくさんの街の人々に心から、ありがとうございました、と言いたい。

みなさんの日々のことが宝物のように思える。それが音楽になったら、どこかに届けられる気がしている。『Dear Someone』はもう少し続きます。
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三年生、国語の授業で演劇、教室に劇場を立ち上がらせるような試みだった。
ペピン結構設計の石神さん、俳優の帖佐さんと行った。私は音楽担当。

子どもたちは脚本のないところから、納得して舞台に立つ、他人も同じく、を目指してじりじり踏ん張っていった。
主張、涙やいら立ち、あれこれ大事に含みながら、ほつれをときながら、自分たちで演劇に仕上げる。表現がいつもこんな共同作業とは限らないけれど、これは生によく登場する出来事だなぁと見ていた。
他を含みながらよりよい方へ、は子どものもつ自然の指向なのかもしれない。乗り越えたときのあんないい顔、なんてあらわしたらいいか分からない。そして過ごした時間を辿ってみると、その表情に変化できるよう自分自身で、全身で向かっていたことが分かる。

学校、学習するまたは教育するという枠組みの中にあたえられた演劇の時間だった。
わたしたちの普段していることにおいては、「教育」とずれている部分、矛盾している部分、たくさんあるのだろう。表現の場だったら別の方法を選ぶだろうな…と思うことに、学校に行くと大変よくぶつかる。

でも、というか、そのことこそがとても大事に思われる。
二つ以上の枠組みが一つの教室に重なって、同じ人を取り巻きながらすれ違うという出来事は、人々の生き生きとするその仕方を、別の角度からおーいおーいと引き出しているのではないかなぁと。
子どもたちはいつもの教室に帰っていく。物理的に場所を同じくしながら世界として脱線して(場所と矛盾した世界へ飛んでって)、合線って言葉はないと思うけど、合流かな?、また学校世界へ、場所と役割の世界の一致した教室へ戻っていく。でも、彼らは経験をしているから。
他の秩序をもった世界のことを、ぽん、と頭に思い浮かべることができるということ、または身体が覚えていること経験しているということ、人間には大事なんじゃないかなと思う。
例えばわたしたちが生きていく時、広い世界の対立するようなものに、思いを巡らせることができているだろうかとか。

ペピン結構設計も、石神さんも、とてもおもしろい。演劇のボーダーをじわじわ溶かしてくれる。多分全国各地で。たくさん会話をかわす人たちなんだな。何気ない会話が積み重なって、そのうちふと目の前にいる誰かが役者になっている。劇場が立ち上がっている。もちろん、やってみましょう、の一言が石神さんの笑顔と一緒に後押ししているのだけど。

子どもたちの自由帳。ちらりと見たところ、キャラやお話やメモらしきものが描いて/書いてある。詳しい内容は分からないけれど、それでも一冊一冊が宝物に見えた。何度もめくった帳面の分厚い感じ、シールで丁寧に装飾されたもの。作家の手記の続きに一筆加えるような緊張感で空白にサイン?を書きまくった。
みんなすばらしいものをかかえて生きていると思った。
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6/28(土)新宿Motionについて、メンバーの体調不良、療養の為、Falsettosは出演をキャンセルさせていただくことに致しました。
楽しみにしてくださっていたお客様、主催・関係者の皆様にご迷惑をおかけしてしまいましたこと、お詫び申し上げます。

次回予定しております7/13(日)の下北沢スリーでは元気に、皆さんに楽しんでいただけるパフォーマンスができるよう、全員で準備を整えていきたいと思っております。

今後ともFalsettosをよろしくお願い申し上げます。
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CD『Dear Someone』の売上金から製作費を差し引いた

6,972円(2012年11月1日~2014年3月11日分、3月12日付)

「未来の福島こども基金」に寄付いたしました。
レコーディングにご協力いただいたたくさんの方々、このCDを手にとってくださった皆様に、心より御礼申し上げます。

「未来の福島こども基金」では放射能の市民測定所への支援沖縄での子どもたちの保養支援
甲状腺検診プロジェクトの支援などを行っていらっしゃいます。


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3年前のあの日から、それぞれの立場で震災を見つめているのだと思います。
滞在制作のお話をいただいた時、とどまって場を守る方もあれば、様々な場所を移動して見てきたもの聴いてきたものを運んだり、離れた場と場をつないだりする者もある、ということを改めて意識しました。
このような機会を仕事としていただいている。移動で生まれるエネルギーが自分のところでとどまることなく巡り続ける仕組みを、小さくてもいいから実現したいという気持ちをもってCD作りに取り組んでいたと記憶しています。

移動によってうまれた音楽を形にしてお金にかえて、その先は、どこへ運んだらよいだろうかと考えて、自分とはことなる専門的なこと、それから、この社会や環境の中で生へ生へとつながっていく取り組みに託したいと思い、寄付先を選ばせていただきました。

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自分の手で売るということが、なかなかうまくできず、思うように進まないので、オンラインストアを立ち上げました。のぞいてみてくださいね。そしてご紹介いただけたらうれしいです。

chittomo
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*『Dear Someone』について
会ったことのない誰かと誰かが音だけで出会ったら。

2012年、青森は王余魚沢(かれいざわ)で行った滞在制作のアーカイブCDです。
関東と青森に住む人々のあいだで「音の手紙」を送りあっていただき、収録しました。

滞在拠点となった旧王余魚沢小学校でピアノを弾いたり、出会った人々と話しをしたり、学校周辺やリンゴ農園を案内していただいたりしながら私自身が作ったショートピースも入っています。

瓶の中に入って海へとはなたれたような、ゆくえのさだかでないかすかな音たち。音楽になる前の小さな波が、伝い、宛先をみつけ響き合って、ひとつの作品集になりました。


Dear Someone
track : 32
total playing time : 58:05
Art Work : Y2(Yashima Daisuke,Yanagi tomoyuki)
¥800-(税込)
*東北復興支援として売上金の一部を寄付いたします

滞在制作日記


滞在日記最終日から少し。

もう一つ。青森へ来て、震災との距離感覚が縮まった。物理的にそうだったんだろう。
そして、というよりは少しだけ、自分の目で見ている感じを得たんだと思う。

支援を受ける人、支援をする人、遠くから見たら、または言葉で考えたら関係性が決まりきっているかのように見える。
でも私にはどれが誰だかもう分からなくなった。
私は知らない土地で、たくさんのご厚意に助けていただいた。自分にできることは何かとも考えたけれど、小さな小さなことを一生懸命にやるしかなかった。
人と生きていくというのは、本当にただただ、接した面や点と点や面が支え合っている(ちからを行き交わせている)ことだと実感した。

だから、誰かのためになる何かをしたいと思うのなら、自分が“よい”とする少しの前提を持って、人と関わろうとすればいい、それだけなのだと思う。

もちろん、大きな企て、たくさんの人の力、にできることを信じている。
それを必要としている人がきっといる。
だけど、何かを与えようとする姿勢とは、必ず何かを受け取る姿勢であることも忘れてはいけない。























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トースターで挑戦です
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うわー!ちょっと宇宙っぽくはありませんか?しかし焼けば焼くほど温度が上がり
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最後の方、ちょいとこげました
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たまたま目にとまったはちみつが功を奏してなかなかのお味
クッキー型がないのでぶさいくですがご愛嬌ということで

無理矢理あげちゃったけど、喜んでもらえてよかったな
おそまつさまでした〜
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形のないものは名前の世界でたぶんないもののことだけど。
ずーっと形にとらわれてきたような気がしていてくるしくもあったので
少しそれおいておいてなお
人と関わる仕事を進めているかもしれない。

彼女は生きていて、作っている。
それをそのままに見つめることがどれだけ難しいか。
だけど彼女の家へ向かうために自然を自分の足で歩くと少しわかる。
それうそ、無理がある、今その人の言葉私の反射、このかんに従わないと身を守れないかもしれない。
得た感覚の先に、やっと形のない人があらわれる。
あるいはそうやって得た感覚の先に作ろうとする形は堂々としていて、また何度でもゆらいでいる。
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kiken
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salad
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dug up
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hime, tora
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陽間, pregnant
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zenbu
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はじまったね
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